子どもたちは運動会を楽しんでいるんだろうか?こんな運動会は楽しくないのではないか?
運動会は集団行動など、学校の指導力、統率力を披露する場である、といつも思っていました。
自分が子供の頃には管理教育という言葉が一般的であり、その規範から外れることはよろしくないのである、という風潮です。
その当時はまだ戦争中に子供時代を過ごしてきた大人たちが現場の上層部を握っており、彼らが育った過程ではそれが当たり前だったのかもしれません。
しかし、現代になって、例えばダンスや集団演技に関して必要以上に小さい子供に直立不動で待つことや、手足の動きを揃えることを重要視して過剰な指導があることは、果たして子供の為を思っているのだろうか、管理者側の自己満足でしかないのでは、と思うことが増えてきたのです。
思いがけず寒い小雨になったその年の運動会
息子らが小学校の頃、その年の運動会の朝は雨が長引いて半袖では肌寒い日でした。
小雨決行ということで、親達も見に行くと、子供らは半袖短パンで震えて整列しています。
大人でも長袖の上着が無いと鳥肌が立つ気温でした。
しかしそれを見た親たちは怒りました。
教職員はみな長袖長ズボンのジャージ姿で、その半数はテントの中で見ている状態だったのです。
余りの寒さに子供の分も上着を取りに自宅に戻った親御さんもいましたが、整列しているのでは渡したくても渡せません。
PTAの会長を務めていたお父さんが「これはひどいのではありませんか?」と、壇上であいさつをしていた校長先生の後ろにいた教頭先生を横に引っ張り出して強い口調で抗議をしてくれたのですが、子供らを観覧席に戻して上着を着せ、再度整列させるという手間を考えたら、この整列状態を手早く済ませるほうが賢明だろう、ということにされてしまいました。
子供らの多くは座席に水筒とタオル、そして上着を置いていたので、競技を始めるまでに、体が温まるよう長めに休憩時間を取ることを確約して引き下がることになりましたが、親たちは釈然としないままに雨が上がるのを祈り、そして昼前にはお日様が照ってきてホッとしたのです。
幸い、我が子は風邪もひかず無事にすごすことが出来ましたが、翌年からはそういったことにならないよう、PTAの本部役員さんが事前に学校側に申し入れをしてくださることになりました。
先生!怒鳴ればよいというものではないのです…!
我が家は小学校の目の前のマンションで、毎年、昼間にマイクを通した声が聞こえたり、音楽が聞こえるようになると「ああまたこの季節か」と思うのです。
ある年、先生が、生徒のことをピンポイントで名指しして叱る声が響くようになりました。
いろいろな名字が聞こえてきます。
どうも、行進の歩調が合わないとか、整列ではみ出したとか、ダンスで失敗したとか、そういうことがある度に子供の声をマイク越しに叫ぶ、酷い時には怒鳴るのです。
近所の住人は例年のことで音楽やマイクの声には慣れており、煩いとは思いませんでしたが。
叱られている子供たちを思うと、それほどの事を彼らがしているのだろうか?!と疑問に思ったものです。
そんな学校に匿名で電話したら電話口に出た先生は「煩くて申し訳ありません!」と口では謝っていましたが。
音量の問題ではなく、そんなふうに子供を叱るのは如何なものか、という方向でお話をしたら、その拙さには気づいていなかったようなのです。
揃った行進やマスゲームは確かに奇麗なものですが。
それが今どきのニーズにあうのか、と言うことを考えたら、小学生のこの時期には、必要なものとは思えませんでした。
そして、子供たちがそれを楽しんでいるとも思えません。
こういった演技が、それを「させる」側の満足で終わってはいけないと思いましたし、何よりも、人前でそんな形で叱られる子供の委縮を考えると、運動会が健康的なものには見えないのです。
大きな事故になる前に
この数年問題視されている組体操ですが、我が家の長男も小柄ゆえに人間タワーのてっぺん担当にされ、組んだ相手の子がバランスを崩してつんのめり、もろともに下に落ちる、という事故にあいました。
幸い下にいた子が受け止めてくれて酷い怪我にはなりませんでしたが、眼鏡が破損し、下手したら大けがになった可能性もあったのです。
年々先生方の指導で求められるレベルが上がり、ピラミッドやタワーの下になる大柄な子はむき出しの膝をすりむいたり、素足でやるために足の裏がボロボロになったり、ということが続いていましたが、友人の息子くんは小6の10月の運動会で我が子と同様に落ちて右手を骨折し、中学受験の準備に大きな影響を受けたり、という実害も周囲には聞こえていました。
今でも新聞やニュースで同様のことが報じられると、まだこんなことをやってるのか、と驚くと同時に、腹が立ち、また、子供のほとんどはそんなことをやりたいとは思っていないんじゃないか、と考えてしまうのです。
先生たちは、自分たちが子供の頃にそういう演技をして楽しかったのかなぁ、と。
あの頃は聞けなかったことですが、間接的な抗議の意味も込めて、聞いておけば良かったなぁ、と今でも思っています。
さいごに
子供の運動会をずっと見てきて、本人らが本当に楽しそうに見えたのは幼稚園の頃、そして10年後の高校時代です。
幼稚園では先生方が巧く回して下さって、無邪気な笑顔でぴょんぴょん飛び跳ねて、記念のメダルを首に下げてもらうのが本当に誇らし気でした。
それから10年、高校生になり、やっと各自が自主性をもって楽しめる雰囲気になったように感じました。
自主性を重んじる学校だったということもありますが、やりたいことを思い切り楽しむとき、彼らはこんなに良い表情をするのかと嬉しくなるようなシーンでした。
放任や甘やかしでなく、子供の成長を認め、そして伸ばす。本来、運動会はそういう行事であってほしいと願っているのです。